気持ちが浮き沈む自分へ

浮き沈む自分を励ますためのブログ

作業が重苦しく感じる自分へ

いろんな作業を行なっていると、作業が重苦しく感じる時がある。

 

ただ単純に作業量が多いという話であれば、そこまで苦ではない。

その場合は、ただただ面倒くさいだけだからだ。

 

作業が重苦しいというのは、

非常に大きな作業であったり、

取り返しのつかない作業であったり、

自分の人生における何かを賭けて、作業をするときである。

 

もちろん、腹を括らなければならないときというのは、

人生にはいくつか存在し、そこを乗り切ると、非常に大きな成長となることは多い。

人生における目標というのは、何かを賭して臨むべき事項とも言える。

 

しかし、会社員としての業務の大多数において、

そこまでのことを思って作業をする必要性はない。

むしろ、足枷になることが多い。

 

もちろん、作業を依頼した人の考慮が甘いが故に、

自身が思慮深く慎重にやらないといけないことはあるかもしれない。

 

だが、それだとしても、

自分の人生の一部分を賭して行うべき事項なのか、

今一度、検討してほしい。

 

冷静に考えてみると、賭して行うレベルのものではないと気づくはず。

であるならば、その作業に臨む自分というのは他人なのである。

 

他人と見なした自分という人間で作業に挑めば、

どこで諦めるか、どこまでをやるか、を冷静に見ることができる。

結果、成功することはできなくても、大失敗することはない。

取り返しのつく失敗で済むことができる。

 

もしそこで自分の何かを賭して作業したらどうなるか?

必然的に成果を出すことだけに頭がいってしまうことになる。

もちろんその心持ちは大事であるが、それが行き過ぎてしまう。

 

極端な話であるが、例えば作業中に気づいた懸念事項を無視するようになる。

その懸念が後々大きな問題を引き起こす可能性については頭にあるのだが、

「成果を出さなければならない」、「懸念は懸念」、「気づかなかったことにしよう」

と考え、結果無視をする。

 

そのようなやり方で成果を出しても意味がない。

目に見える成果の裏で、ひた隠しにしたい負債を抱えることとなる。

 

負債は、いずれ回収しにやってくる。

回収しに来たら、会社を辞めることでその負債をチャラにすることもできる。

だが、一度でもそれをやってしまったならば、その人は自身の目標も達成できなければ、

他者の課題解決もすることはないだろう。

なぜならば、その生き方は楽でクセになるからだ。

個人的には、そんな人生にどんな意味があるのだと疑問が絶えない。

 

だから、自分を賭してなんてのは、本当の本当にやりたいことで、次に機会がないときで、
且つ、成功しても失敗しても自分の人生を捧げる覚悟がある時だけである。

 

そう考えれば、重苦しいと感じていることも、

人生という天秤に乗せてみると、ほとんど大したことでないことが多い。

とかく、被害がない、最小限になるように努めればよしなのである。